せっかく病気になったのだから

子宮頸がんと告知されてから、治療の日々を綴ります。

病院に行った日

子宮頸がんと告知された今だから言うわけじゃないけれど

その予兆というものはずいぶん前からあった。

それこそ、数年前から。おりものの量が多かったり、少し匂いがあったりして。

その頃は「なんかの病気かもしれないなぁ」とちょっと思っていて。けれど、そんなもんと言えば、そんなもん。世の中には匂いの強めな人もいるだろうし、加齢のせいかななんて思ってた。性病にかかるような相手に心当たりもなかったから、放っておいていたんです。

けれど2~3年前から、彼との性交渉のあとに出血するようになって。性器を触られたりするのもなんだか痛みのような違和感があったりもして。

彼には「加齢のせいかな」なんて言っていたけれど、少し気になってインターネットで調べてみると子宮頸がんの症状に近かったから、もしかして…って。

そんな疑念も、昨年の冬ぐらいには確信に近くなっていました。

ちょうど、昨年は偶数年齢で無料で子宮頸がん検診ができる年でした。会社でも検診を勧められていたから、行こうと思っていたけれど、なかなか予約がとれず、そのうち「まぁ、まだいいか。」なんて思ってしまって。また放っておくことに。

深刻でなかったわけではないけれど、一度、ガンとわかってしまったら、相応の期間、動くことができなくなる。一人暮らしで、日給月給の暮らしをしている私には、働けないことは死活問題だったし、波乗りしたり、スキーをしたり、絵を描いたりとそんな暮らしを中断することが嫌だった。

「たぶん、仕事を辞めて、実家に帰ることになるだろうな。彼とはどうなるかな。遠距離?いやいやお別れすることになるでしょう。」

そう思うと、「ガンと決まったわけじゃないし、なんてことないかも。今の生活に支障がないなら、もう少しこのままで…」と思ったんです。

 

けれど、そんなのは甘い考えでした。

春ぐらいには、普段でも少量の出血が見られるようになって、多めの吸水のパンティライナーが手放せない状態に。性交渉の後にはすごい血で、レバーのような血の塊も出るようになった。

そのうち、生理の日でもないのに出血するようになって。秋ごろには腹痛も伴うようになっていったんです。

体調の変化はあまりに急激で、それこそ「あれ、このまま死んじゃうんじゃ?」なんて思ったりするほどでした。

ちょうど、祖父と伯父が続けて他界して、悲しみと東京都の実家との往復で疲弊していたことも手伝って、「ガンならガンでいいや。」なんて変な自傷的な開き直りをしたりして、何をやっていたんでしょうね(笑)早く病院に行けって感じですね。

もう、その頃には、ほぼ100パーセント子宮頸がんだろうなと思っていて、後はいつ病院に行こうかということだけでした。秋は仕事が忙しい時期だったし、描き上げてしまいたい絵も途中だったから、それが終わったら…と。

 

年末からは一層ひどくなり、生理用のナプキンでは足りないくらいに出血する日が続きました。いったん止まってもまた一週間後に出血がはじまって。

一月も半ばを過ぎたあたりで、1週間以上の多量な出血が続いて。

朝起きると、下着や寝間着を通してもまだなお、布団が真っ赤な血でびしょびしょになるほどの出血がありました。これはいよいよ限界かもしれない…。

そう思って、近くの婦人科病院に行ったのが私の闘病生活の始まりとなりました。