せっかく病気になったのだから

子宮頸がんと告知されてから、治療の日々を綴ります。

彼と私と子宮頸がん

「子宮頸がんだそうだよ。」

結局私は、彼にそう話した。

逆の立場だったら、言ってもらえないことはとても悲しいと思ったから。

 

入院には、身元引受人や保証人が必要で、両親と離れて暮らしている私には親以外の誰か近くにいる人を頼らなくてはいけない。

私が頼りたい人は彼だったから、彼に連絡をした。

夕方には行けるからといって来た彼は、準備良く、印鑑まで持ってきてくれていた。

「準備いいね」

「そんなこともあろうかと思ったんだよ」

そう言って、身元引受人と保証人の欄にサインをしてくれた。

 

昨夜からの出来事を話し終えて、これからのことを伝えた。

この時の私の大きな悩み事は、どこで治療を受けるかということ。

はじめはこっちに住んだまま治療をしようと思っていたけれど、先生の説明を聞いて、それは無理だってことに気がついた。

一人暮らしで、非常勤職員の身では、仕事しながら、ガンの治療はかなりハードルが高い。

日給月給の身で、なんとか社会保険はつけてもらっているものの、働けなけりゃ生活は行き詰まる。これが現実。

それでも預金はいくらかはあったから、その気になれば2か月ぐらいの入院にならなんとかなっただろうけれど、その後だって医療費はかかるし、仕事だってセーブしないといけないだろうし。余裕のない生活をしながら再発の不安をかかえて暮らさなければいけない。そう考えると、東京で治療を受けるという選択肢が一番良いのだ。

 

彼にそれを話すことが私にとってはいちばん悲しいことだった。

別れようと。そんな話をしなければいけないだろうか。それともいまではない方がいいだろうか。私はたぶん、子どもも産めなくなる。こっちに戻ってこれるかどうかはわからない。今それを伝えるべきだろうか。

 

悩みながら、「どこで治療しようかと考えている」と話すと

「子宮をとって済むんならそれでいい」と彼は言って、「僕が会いに行けばいいから」と言った。

その言葉に心が緩んで、私はボロボロと泣いてしまった。

彼の目も赤くなっていた。

 

この時にたぶん、私も彼も、いろんなことを想像したんだろうね。

「別れ」を予感して。彼だって私が東京で治療して、帰ってくる確信はないだろうし、それは私も一緒で、生きてるかどうかも不明だし。それに、子どもを産めなくなる自分の人生に彼をつきあわせるわけにはいけないって思ったしね。

とても大事な人だから、やっぱり、子どもと家庭を持ってほしいってそう思うんだよね。そう思う反面、一緒に越えていこうなんて言ってほしくもあったりして。葛藤。

 

だけど、この日はこれ以上話さなかった。

彼の好意に甘えることにした。ずるいけれど、今、このタイミングで彼を失うのはとても困ることだったから。

体はとても疲れていたし、たくさんの不安もあったし。

その上で、治療を進める病院探しから、お金のことと、引っ越しのこと、仕事のことなんてやることがたくさんあったから、助けてくれる人が必要だったんだよね。