パートナーという存在
引っ越しの3日前、彼が「一緒に東京に行こうかな」と言った。
私は少しびっくりして。でもとてもうれしかった。
このころの私は、すごく体調が悪くて、連日にわたって出血がひどかったから、一人で猫を連れて、車を運転して東京まで行くのはすごく不安だった。
私がガンだと言ったときから、彼は「何ができるか」と考えて行動してくれていたし、一緒にいる時間をすごく大切にしてくれていたんだと思う。
引っ越しの日はさらに体調が悪くなっていた。ここ2、3日は引っ越しの準備で忙しくて、さらには会社の同僚が壮行会?(笑)をやってくれたのを無理に出席したりしていて。かなりしんどかった。お腹がいたくて、途中のパーキングでもうどんぐらいしか食べられなくって。だけどずっと、幸せだった。
車の中では、すごくおだやかに、ずっと話をしながら過ごした。
彼にはまだ話していなかった、色んな昔話
二人で食べた鍋のこととか、自慢のTシャツのこととか。
たぶん、あの時間を私はずっと忘れない。
長いドライブをして、実家についた。
母は彼に、とても感謝していて、彼に「また来てくださいね」と言った。
彼はまっすぐな横顔で「必ず来ますから」と答えてた。
翌日は仕事だった彼を、新宿のバスターミナルまで送っていった。
南口を出て、信号を待ちながら、手をつないだ。福島の恐竜博物館に行ったときを思い出して泣きそうになった。ちょっと泣いたかも。
あったかくて、幸せで。もっとたくさん、手をつないで歩けばよかったなって思った。彼は、「当分、並んで歩けないなぁ」なんて言って「この景色を味わっておこう」とか言って新宿のビル街を眺めてた。
そして「君はガンでは死なないよ。」って言った。私も「うん。大丈夫」って笑ってうなずいた。
ロータリーにバスが来た。搭乗時間が近づいたけれど、彼が「最後でいい」っていうから、二人で寄り添いながら、乗り込んでいく人を最後まで見ていた。
別れの時間が近づいて、私は帽子を深くかぶりなおした。
悲しい涙は見せないことにした。
それから数日後、私の検査の結果が出て、東京の先生と面談した。
彼に手紙を書いて伝えたけれど、卵巣の機能が停止するってことはまだ言っていない。
いつ言おうか。どうしようか。
こうして彼のことを思い出してブログに綴っていると、やっぱり涙が出てくる。
付き合って5年だか6年だか。おおざっぱな私はそんなことも覚えていないけれど、気が付くと私の記憶の一部になっていて。何かあったときにまっさきに頭に思い浮かんでくる。彼はそんな大事な人。
だからこそ、彼に幸せになってほしいと願う。私ではパートナーにはなれないだろう。それともこれは、乗り越えるべきことなんだろうか。答えが出ない。